ナザレのイエスに関する記述は、最初口伝で始まり、イエスの死後30年ぐらいたってから、イエスの散り散りになった弟子、そこから又聞きした話によって書かれ始めたものが最古のものと考えられています。現存しているもので確認できている最古のものは、2世紀中頃に書かれたものです。同じ頃にバラバラに記録されたものを一箇所に集め、聖典化していったと考えられています。
現代に残る「福音書」と呼ばれるこれらの記録は、最終的にキリスト教の聖典「新約聖書」という形で編集され一冊にまとめられました。325年最後の単独ローマ皇帝であるコンスタンティヌス大帝が当時各宗派の神学者のトップをニカイアに集め、ニカイア公会議と呼ばれる国際会議を開催し3ヶ月間も議論した上で、教会の維持を最優先する形で改変され、帝国内の様々な宗派や他宗教も含め信仰しやすいように考慮されました。伝統的なローマ・カトリック信者以外からは、「新約聖書」の内容は史実とは異なると考えられています。
イエスに関する記述が残る古代の文献からは、大きく6種類に分けることができます。正典に納められた『マタイ』、『マルコ』、『ルカ』、『ヨハネ』、の4つの福音書とパウロの書簡、そして『それ以外』です。量としては、『それ以外』の方が圧倒的に多いはずなのですが、教会にとって都合が悪いものは、事実ではないという表向きな事由で正典から外され外典と呼ばれています。
イスラエルから追放されたイエスの弟子達の口伝の内容は、書かれた場所や地域によってそれぞれバラバラです。その中でも後年に政治的都合で追記された可能性が低いもの、内容的に政治的都合と無関係なものを整理しつつ、さらに「新約聖書」から意図的に削除された内容で近年発見された古代の福音書である「ユダの福音書」などに残されているもの、またキリスト教とは無関係なローマ帝国側に残された国教化以前の資料や同時期に書かれた「ユダヤ戦記」なども参考にしながら「福音書」の矛盾点を洗い出し、近代生命科学的に不可能と思える内容に関する懸念なども含め、できる限り史実に近いイエスの実態を洗い出すと新たな真実が見えてきます。
イエスの両親
イエスは、若い頃にかなり厳しい一人旅を経験していたことは多くの記録に共通する点であり、史実と考えられています。イエスの父が大工であることも書かれています。また、母のマリアはレビ族だった可能性が高いことが様々な歴史家や研究者から示唆されており、イエスの神の子とは認めない「コーラン」には、その様に記されており、この見解は、ルカの福音書と辻褄が合う点で、史実の可能性が高いと判断できます。
レビ族はモーセとアロンを含む祭司の家系で、世襲で大祭司を排出している特別な家系です。「モーセの十戒」は、砂漠の宗教である一神教の基本中の基本です。特に最初の3つが特徴的です。
1 神は1つ
2 偶像崇拝禁止
3 神頼み禁止
4 土曜定休
5 父母尊敬
6 殺人禁止
7 強姦禁止
8 窃盗禁止
9 偽証禁止
10 欲望制御
マリアは、このユダヤ鉄の掟である十戒を神から授かったとされるモーセを排出したレビ族の中でもアロンの末裔というユダヤ教の中では、極めてレベルが高い家系だったのです。マリアがイエスを孕った頃、ユダヤ世界はローマ帝国の属州として、ローマから特権を与えられたヘロデ王によって統治されていました。ヘロデ王はローマ帝国とべったりの存在で、エルサレムにヘロデの大神殿を建設した強大な権力者でした、そのヘロデに仕えた祭司の妻エリザベトとマリアが親戚であることが、ルカの福音書には残されています。これは、「新約聖書」ではあまり注目されていなく、キリスト教徒のミサなどで言及されることはありませんが、イエスの母の出自を伝える重要な文献です。
マリアは、ヘロデ王に直接仕える名家の家系と親類だったことは、実際にはさほど貧しい家系ではなかったことを意味しています。父ヨセフも大工というと貧しい家系に感じますが、ヨセフの働き盛りの年代では、ヘロデ大神殿の建設やガラリヤのティベリア大都市建設など建設ラッシュで大工は花形の職業で決して貧しいものではなかったはずです。両親ともに裕福な家系で、当時はかなり医学も進んでいたとされますので、ベツレヘムの馬小屋で誕生したという話は、後世の人間が旧約聖書の予言による救世主メシアと信じさせるために捏造したものと考えられています。
ナザレという田舎町であっても、イエスは王家と接点を持っていましたし、周囲と比べれば、それなりに裕福だったのです。敬虔なユダヤ教信者である両親に育てられ「父母を敬う」が殺人禁止よりも上位にあった観点からして、もし、貧しい家系であるならば、苦しい家系を支えるために青年期は働くことは免れませんので、旅に出るという選択肢はなかったのですが、レビ族で王家に関わる裕福な家系だからこそ、イエスは旅人になることが可能だったわけです。
この時代、旅人という肩書きは非常に珍しいものだったに違いありません。ただ、イエスが当時正確な旅をできるほどの技術もなく、かなり、行き当たりばったりで自分がどこにいるのかも分からない様な状況で、旅というより冒険に限りなく近かったと想像できます。残念ながら当然、イエスは文字が書けませんでしたし、紙やペンというのは王に仕える役人などだけが扱える超高級品でしたから、それらの記録が残っていないのは自然なことです。後年に記された、イエスの言葉の端々から、この旅での辛い経験が人間として大きな成長を遂げさせたことを窺い知ることができます。