THIS IS X’MAS イエスの真の物語

最後の晩餐

イエスの物語の中で最も印象的で衝撃的な「最後の晩餐」のシーンは、処刑前夜の幹部会の様子について書かれた記述です。しかし、残っている記録はあくまで公式記録であり、そこには、密室における秘密裏の計画があったと考えなければ、辻褄が合いません。イエスは、豊富な情報源から得たローマ皇帝達の性格を鑑みた上で、ユダヤ人幹部による執拗なローマへの反発姿勢から、間違いなく近い将来に、ローマによる大規模なユダヤ王国への激しい襲撃が来ることを予想していました。これを、イエスは旧約聖書の終末に例え警鐘を鳴らし始めたのです。この終末論に共感した人々が幹部組織(12使徒)でした。終末論で恐怖を煽り、新興宗教に救いを求めさせるやり方は、時代と状況は違えど20世紀末に日本で猛威を振るったオーム真理教とやり方は同じです。しかし、オーム真理教の終末論である世紀末核戦争は根拠が無く、より世界を混沌とさせる目的であったのに対して、イエスの推測はしっかりとした情報源に基づく根拠があり、具体的な救済と世界平和が目的であったことが正反対でした。イエスが出したアイデアは、「イエスを犠牲にした組織の地下化」と「死後復活による自らのキリスト化」の2点でした。

イエスを犠牲にした組織の地下化

後に聖書の正典から外され、時代とともに写本されなくなり散逸したと思われた「ユダの福音書」が20世紀になってエジプトの洞窟から発見されたことによって、ユダの裏切りはイエスの指示によるものだったという古い記録がでてきました。ユダの裏切りがイエスの指示だったことは、イエスが自らの処刑を自作自演したことを物語っています。この記述は、後に教団の存続の都合により虚偽として歴史から消されましたが、状況から判断するに最も史実に近い信憑性に満ちたものだと考えられます。イエスが教団の抹殺とユダヤ世界の終末を正確に予測していたとしたら、師ヨハネやイエスの目的である救済を実現させる唯一の戦略は、教団の責任を全てイエス一人に負わせ、幹部を含め信者がイエスに離反したと見せかけることです。それによって、迫害を受ける可能性のあった教団を地下化し、抹殺を逃れて存続させることができると考えられるからです。

死後復活による自らのキリスト化

もう一つのアイデアは、処刑後に自らの存在を復活したことを目撃したと幹部達が口を揃えることで旧約聖書にて予言されていた「キリストの降臨」が実現したことに信憑性を得る事ができます。これは、イエス亡き後も信者の獲得をより早く、確実なものにすることによって、最終的により多くのユダヤ人を救おうとするための、いわゆる「ハッタリ」作戦でした。「イエス=キリストを信じるものは救われる」というのは、確かにハッタリですが、その結果として救われるのは、事実です。なぜなら、それがイエスの言葉を信じることに繋がり、その結果、戦争被害を最小限に抑える事ができたからなのです。イエスの言葉は、主に愛について語っていますが、それは、敵対する人間も含めて全てを受け入れ愛せよという教えでした。「目には目を、歯には歯を」ではなく、「左の頬を打たれたら、右の頬を出せ」でしあって、強大で憎むべき相手にも服従し、愛を信じ続け、殉教を厭わない精神のみが、戦争被害を最小限に抑えることができるのは、紛れもない真実です。どの時代でも「剣を持つものは剣に滅ぶ」というイエスの言葉の通りに歴史は繰り返されてきました。ハッタリであれ、当時、信心深いユダヤ人や信仰を持たない異邦人らを「回心」させるためには、どうしても必要な嘘だったのです。

イエスの処刑

イエスは、師ヨハネの処刑から数年も経たないウチにすぐさま「最後の晩餐」計画を実施しました。イエスが自ら進んで磔刑を選んだことが福音書の記述からも読み取れます。イエスがローマ帝国兵士に連行される際、「あなたがユダヤの王を名乗ったのは事実か?」という罪の確認において「それを言っているのはあなたです」とイエスは返したことが印象的に書かれています。イエスが、ユダヤの王だと名乗ったとは考えられませんが、当時それは社会秩序を乱す極めて重い罪でした。この濡れ衣を着せたのは、イエスの幹部達です。イエスはこのアイデアを自ら出しつつも、素直に「はいそうです」とは答えませんでした。より強い反感を買い、ローマ兵に対して服従しない素振りで挑発することで、自らの罪をより重くさせ、幹部達の教団への関与を否定しやすくする効果も目論んだ、計算高い切り返しだと読み取れます。イエスが自ら担いで処刑場であるゴルゴタの丘に運んだ十字架には、「INIR」と刻印されていたことは多くの記述に残されています。後に作られたイエス・キリスの肖像やイコンにも例外なく同じ文字が残っています。これは、「ナザレのイエス、ユダヤの王」という意味の頭文字であり、その十字架を運ぶイエスに向かってローマ兵たちは沿道で「ユダヤの王、万歳!」と冷やかしながら声援を送っていたという記述がいくつか残されています。いかにも、権力者側が犯罪者に対してやりそうなあからさまなイジメです。イエスにとっては、屈辱的であったに違いありません。そして、それを見ていた弟子達の悲しみや怒りは計り知れないものだったことでしょう。磔刑は後に禁止される事になるほど残酷な刑でした。手に釘を打ち付けるだけでは大人の体重は支えきれず、力を緩めれば手がちぎれてしまいます。ですから、激しい苦痛のなかで筋肉が反応し、大量のアドレネリンが分泌され正気を失いながらも、意識を失いそうになると激痛で意識が戻るという繰り返しが数日続きます。最終的に死に至るまでそれが続くという極めて残酷な公開処刑です。どれほど高い志があっても、全人類のためであれ、自ら進んでこの処刑を選ぶということは、常人には不可能に思える選択でした。それを実践した師イエスの姿を目の当たりにして、弟子達はイエスが本当にキリストだと確信したに違いありません。この刑の執行は、古代において早くも禁止されているため現代では確認することはできませんが、医学的には、この刑によって不均一な硬直による筋肉の収縮などで遺体が動き、生き返ったように見える可能性が高いと言われています。復活のアイデアは、生前のイエス本人によるものか、あるいは死後、弟子達によるものか、その証拠はありませんが、槍で死を確認したあと、イエスは三日後に復活したとの記述は全ての福音書に共通するものであり、それは肉体を伴うものであったことは、この死後硬直の緩和による遺体の反り返りを見た可能性もあり、また死後、イエスの語りかけが聞こえている点に関しては深い悲しみを共有したもの通しであれば、現代でも一般的に知られている心理現象として特段、非科学的とは言い切れない部分もあります。しかし、多くの「福音書」による記述にイエスがそれを予言していたことが書かれている点と、ユダの福音書に見られる処刑の自作自演の可能性を考慮すると、イエス=キリストというアイデアは、イエス本人から弟子達に伝えられた作戦だったと考えられ、また当時医学的見知が深く、様々な情報をもっていたイエスは、磔刑三日後に死後痙攣を起こす事も事前に知っていた可能すら捨てきれません。一方、イエスが実際には三日間気絶していただけで、遺体回収後に目覚めたとする説も残されています。ただし、この場合イエスの生存が多くの人に確認されているにも関わらず、再度処刑されていないという点には、疑問が残るところです。どんな奇跡に見えることが起こったにせよ、このイエスの磔刑における「秘蹟」の核心はあくまで「イエス=キリストだと信じるものは救われる」という一点に集約されていることに変わりはありません。

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