今を生きる奇跡の日本画家 宮下真理子

コラム:宮下真理子との出会い by Hiro Ferrari

10年ほど前だろうか、友人が経営していたワインバーに呼ばれ、店に入ると彼女がカウンターで飲んでいた。声が澄んでいて、芯があって、滲み出る人間的魅力が全身から溢れていた。その彼女が日本を代表する日本画家だということを聞かされた。僕が人生で一番最初に挫折した画家という夢を実現している人が目の前にいたのだ。小学生時代、僕も絵画で優勝賞を獲った事があったが、どうせピカソやミロなんかにはなれるはずないと、無力感に押しつぶされた。「この時代に画家として食べていけるはずがない・・・」それは、多々いる絵が上手いほぼ全ての人類に共通する感覚だと思っていた。でもそれを実力で押しのけ、絵画の最前線で一枚何百万円という価格で絵を売って生計を成り立たせている人が目の前に現れた。その衝撃は強烈な高揚感を生み、その反動でしばらく鬱になってしまうぐらい大きなものだった。僕は平伏すがあまり嫉妬心すら芽生えなかった。

僕は、絵を描くことが好きで、でも絵画の道は選べず、数学や物理を勉強し大学では建築を専攻した。少なからず絵を描くのに似た感覚的なものと携われると考えたからだ。しかし、実際には建築家になることは画家のそれとほぼ変わらないぐらい狭き門で、しかも20代では絶対に不可能だと理解すると、在学中早々に諦めてグラフィックデザイナーへ転身した。それでもいつも、頭の片隅には理想の世界を思い描きつつ、職種を転々とし、30代後半には独立から一転、雑誌社へ初就職した。ラグジュアリーマガジンの「ACT4」で副編集長という立場はそれなり刺激的だった。

宮下真理子とその後、ちゃんとゆっくり話ができたのは、この雑誌社に入ってからのこと。4〜5年前ぐらいからだろうか、何度か友人とのワイン会の席で一緒することがあった。しばらくして、コロナ禍になってすぐの頃、雑誌の企画「上野の杜」の中で彼女を推し、アトリエにお邪魔して取材をした(職権濫用w)。その時、僕が目にした宮下真理子の仕事ぶりと生活はまさに僕が理想としていた世界そのものだった。恵まれた立地、美しい建築、宝石の様な絵具が揃うアトリエ、イタリアの高級家具、理想を具現している事象を羅列すれば無限にあった・・・というより、その空間にある事象全てが僕の理想で、これ以上は無い完璧な世界だった。桃源郷に住む女神はあまりに眩しかった。僕と同じ歳に生まれ、同じ様なサラリーマンの中流家庭に生まれたのに、どうしてここまで差が開いたのだろう・・・自分の不甲斐なさを痛感したものだ。そういえば、あの時、アトリエには作品「杜の宮殿」が壁にかよりかかっていて、ヴェネツィアを題材にした「水辺の彩」を仕上げていたところだった。

ACT4時代に取材していた時の様子

彼女と会って話をすると僕の中は高揚感で溢れ、理性を失いかけるほどだった。今年2月頃、一年半ぶりにFacebookを通じて連絡が来た。しかも今回、声をかけてくれたのは宮下真理子の方からなわけで、浴衣の宣伝をしたいという目的があったにしろ、超嬉しかった。何を押しのけてでも、すぐに取材をOKした。日本橋「竺仙」にて宮下真理子と社長との対談を撮影していると、それがあまりに面白くて、どうしても宮下真理子と対談がしたいという衝動にかられてしまった。取材後すぐにその場で対談したいと交渉し、忙しい中、何度もしつこく口説き続け、やっとこさ実現したのが今回の対談だった。楽しい時間はあっという間。完成したムービーは、我ながら何度見返しても楽しく、編集中もニヤケっぱなし。美術の世界って本当にサイコー。

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