東京藝大日本画専攻卒業後、文化財保存、日本美術研究の道へ進み博士号を取得。藝大で実に9年を過ごしアカデミズムの頂点を極めた。過去には、複数の大学で講師を掛け持ちつつ、現在も日本美術院の特待として日本画の最前線で新作を発表し続けている。天才画家でありながら、研究家の一面もあり、容姿も美しく、トークもキレる。しかも、気さくで性格も良く、リア充でセレブ。「天は二物を与えず」に逆行し続ける宮下真理子の魅力に迫る!
*新型コロナウイルス感染予防対策の為、予めPCR検査を行い換気や消毒に十分配慮した上で対面で撮影を行っております。
2022年6月1日〜6月6日「宮下真理子 日本画 〜水の景色といのち〜」
同時開催:4Fにて竺仙(ちくせん)の浴衣180周年記念新作柄発表、展示販売会
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宮下真理子の日本画紹介
百聞は一見にしかずということで作品の一つ「杜の宮殿」を紹介します。
□作者名:「宮下 真理子」
□作品名:「杜の宮殿」(もりのきゅうでん)
□制昨年:2019年
□再興第104階院展出品入選作品
□取材地・エピソード等
取材地:チェコ・プラハ ヴァレンシュタイン宮殿公園
取材で訪れたプラハでは、中世の建造物や旧市街地の風景を目当てに街歩きスケッチをしていた。そこでふと立ち寄った宮殿公園での一コマに心を奪われた。宮殿公園内には大きな樹木がたくさんあり、そこを棲み処にして孔雀が木に留まって休んでいた。自然の風景が一瞬不自然のように感じるほど、孔雀を檻の中でしか見たことがなかったことに気が付いた。神木のような巨木は木の葉に囲まれた宮殿。木々の隙間からもれいずる光に照らされて孔雀の羽は美しく光る。ひっそりと、堂々と。
草木や鳥などを題材にした花鳥画は古来より日本絵画の主題として扱われてきた。生きとし生けるものの姿を優雅に、時に図案的な配置をして障壁画や襖絵といった生活の一部に溶け込んで人々の暮らしを豊かに彩ってきた。
その花鳥画の下図やスケッチは江戸の町人の間ではさらに浴衣の型紙として活用され、染め物として多くの人に愛されるものとなった。
現代においては日本画と浴衣の関係は希薄になってきているが、江戸時代の絵画とは、特別なものではなく生活の中で息づいているものだったと言える。
そんな日本画の原点ともなる花鳥画を孔雀の姿から着想して制作しました。
(ここまで宮下真理子 本人解説)
以下Hiro「杜の宮殿」画評
宮下真理子の日本画といえばキャッチーなのはやはりヨーロッパの街並みの景観と言いたいところだが、この作品は、ヨーロッパで取材した題材にも関わらず、日本らしい花鳥画であるという点で一石二鳥ともいうべき代表作であり、本人としても思い入れも強く、手放したくない作品だという。
作品上部は淡い水墨の世界が広がり暗く沈んでおり、孔雀頭部周辺の眩い光を神々しく演出している。強い光によって葉脈が透けて見える葉のすぐ下には孔雀の扇形の冠が描かれ、まさに「ひっそりと、堂々と」なんとも言えぬ妖艶な高貴さが漂う。その深い青と白とで織りなす表情と相まって、現実であるはずなのに、どこか非現実的な世界が絶妙に表現されている。作品中央には重量感のある上尾筒の羽毛の厚みが見事に表現され、その豪華さを象徴するかの如く人の背丈を超えそうな勢いの長さで続いている。上尾筒は先に行けば行くほど徐々に軽くなり、作品下部になると画風が徐々に線描に変わっていき、最後には吹けば飛んでしまいそうな軽快な羽へと変容していく。この重から軽のグラデーションこそ、宮下真理子の真骨頂である。そして、その周りには不安になるほど主張の強い大胆で広大な余白が、有り余る優しさが降り注ぐが如く広がっている。
孔雀はその豪華で稀有な姿形から西洋でもフェニックス(不死鳥)と思われ、アジアでたびたび捕獲されては宮殿で飼われるなど欲望の対象となってきた。日本でも遊女の打掛に使われたりと、とかく妖艶さや誘惑などのイメージを持たれることも少なくない。しかし一方で、インドではサソリや毒蛇を食べるとして古くから魔除けの効果があるともされ、古代キリスト教では孔雀の肉が死後も腐敗しなかったことから、復活・永遠・不死のシンボルとしてイエス・キリストとも関連づけされていた。京都田中神社では孔雀の姿を水引で象ったお守りがあり厄除け・開運などのご利益があるとされ、風水では孔雀を南の玄関に置くことで強運が舞い込むらしい。上尾筒の美しい緑や青の色には心を静める効果があり、人々をより正しい判断へと導いてくれるとも言われている。
筆者がこの絵を飾るなら直接絵に光は当てず、南玄関から入る強い日光を一度、外の石などに当ててから、ゆっくり反射させ絵画の余白を中心にぼんやりと照らしたい。鑑賞する時はまず、欲望のままに孔雀と向き合い、宮下真理子画伯を通じて絵画の中に、孔雀を閉じ込めたことによる充足感で心を満たす。孔雀が向いている光の方へ目を向け、美しいパワーストーンが織りなす青や緑の自然のエネルギーを感じながら、徐々に心を静め、しばし目を閉じて深呼吸をする。ゆっくりと目を開き、余白へと目をやり自我や傲慢が体から抜けていく感覚を確かめつつ、最後に孔雀の目ともう一度向き合い、気付きに対する感謝の気持ちを伝える。先よりも優しくなれている自分を認識し、全ての人々や起きてきた事象に対し許しを乞う。このルーティーンを続けられれば、間違いなく幸せになれそうな気がするのである。観覧者が絵画と対話し崇拝することによって絵画は完成し、神聖を帯びる。そして、数百年数千年の未来永劫、人類の宝として遺って行くことでしょう。
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