そして、パルティア遠征へ
カエサルは、都心ローマの再建と大改革に道筋を与え、ある程度ひと段落したところで、クラッススが志半ばで実現できなかったパルティアの平定へと向かうことにしました。独裁色が濃厚になったカエサル。このパルティア遠征で成功し、さらなる盛大な大凱旋式が行われれば、全てのローマ市民はカエサルにの支持基盤はもはや圧倒的すぎて誰に覆せないものになってしまいそうです。カエサルがどんなに遠慮しようとその事実は変えられません。カエサルは少しも自分の死を予感していなかったですが、パルティア遠征に先駆けて、念の為候補者選びを済ませ、遺言書を残していました。そこで後継者に指名したのがまだ18歳で甥っ子のオクテウィウスで、無名の少年でした。
プルータスお前もか
パルティア遠征の3日前、有名な3月15日「ブルータスお前もか」事件の日が訪れました。カエサルの権力が強大になり過ぎてこれまでのローマの共和制の伝統が壊れてしまうことを恐れに恐れ、カエサルがパルティア遠征に出発する前になんとしてもその火種を消せねばと決起したのです。カエサルはローマの城壁を壊してしまいましたから、軍隊を連れて遠征に出てしまえば、そのまま軍隊を連れて凱旋することを止める手段も残っていません。ですから、カエサル不在の間に状況を覆しても遅いという思いもあったでしょう。しかし、この暗殺計画、殺すまではよかったのですが、大きな計算違いがあったのです。市民のカエサル人気とカエサル派の影響力は、パルティア遠征に行くまでもなく、すでに取り返しがつかないぐらい大きくなっていたことに気が付いていなかったのです。もはや、当時のローマ市民にとってカエサルはすでに事実上の神と言ってもいいぐらいの存在となっていて、市民全員がカエサルの盲目的なファンであり、信者だったのです。暗殺者は誰からも支持されることなく、そして、その後一歩も動くことができず、反カエサル的な動きを何一つできないまま、逃亡し、二年後には殺されてしまいます。「何のために殺したのか!」と発狂したくなる人が続出するぐらいお粗末な暗殺劇でした。マルクス・ブルータスは、カエサルの一番の愛人の連れ子で可愛がられていたので、反カエサル的思考があったことをカエサルは知っていたものの、毎回そのことを愛人に免じて許してあげていたのです。もう一人の暗殺に加わったデキムス・ブルータスは、もっと裏切るとは信じられない信用を置いていた人間だったので、カエサルはさぞ驚いていたことでしょう。どちらの、ブルータスにむかって「ブルータスお前もか!」って言ったのかは、推測の域をでないですが、残されているギリシア語の文献では、「息子よ」という記述があることから、愛人の連れ子を息子同然と思って可愛がっていたことや、そのドラマチックな設定からマルクス・ブルータスだと一般的に言われていましたが、カエサルにとってより意外だったのは、デキムスの方だったかもしれません。
遺言書の効果
カエサルが残した遺言書は、実は。後継者指名の他にもありました。その内容はあまりにも天才的でした。全財産を全国民に平等に分け与える上に、自分の庭園を市民に与えたのです。この遺言書によってさらに、カエサルは死後においてもその影響力を維持し続けたのです。
オクタウィウスは、暗殺の4ヶ月後、カエサルの誕生月であった7月にカエサル記念の大々的な競技会を実施し、全住民の圧倒的な支持を得ました。競技会を締め括る最終日の式典には夕方でもくっきり見える76年に一度来るというハレー彗星が空に輝きました。そして、住民は、カエサルも天に召されたのだと感動したのです。この素晴らしい式典を主導し実施したことで、無名の少年はカエサルの後継者として広く市民に認められました。この日以降、7月のことを誰ももう数字で呼ぶことはなくなり、誰もが自然とユリウス・カエサルが生まれ、且つ天に召された月として、JULIUS(ユリウス)英語読みではJULYジュライと呼ぶようになりました。
その後・・・
暗殺後、急遽エジプトに戻ったクレオパトラ7世は、弟のプトレ14世を暗殺し、カエサルとの間に生まれた3歳の嫡子を勝手にプトレ15世として即位させ親子独裁体制に入ります。間もなくしてローマで幽閉されていたアルシノエ4世も暗殺し、第二回3頭政治の一人でカエサルの側近だったアントニウスに呼び出され得意の魅惑攻撃を仕掛け、彼女のもとに引き込みました。もちろんアントニウスはちょうどエジプトを勢力下に置きたかった訳ですから、クレオパトラ7世はカエサル同様、都合の良い女であって、クレオパトラ7世の誘惑に乗るのは当然の結果でした。しかし、カエサルと違ってアントニウスは、うっかり本気でクレオパトラを愛しちゃった様に見受けられます。しかも、アントニウスはクレオパトラの影響か、「快楽・富・名誉」に正気を失い、私利私欲に走り過ぎ、最終的にローマを敵に回してしまったのです。しかも二人は、戦争の途中で敵前逃亡し、そのせいで圧倒的戦力差があったにも関わらずエジプトの軍団はオクタウィウス軍に敗北してしまい、最後は自殺に追い込まれてしまったのです。残されたカエサルの子プトレ15世も、オクタウィウスに危険分子とされ粛清されてしまい、アレキサンダーの血はついに途絶えてしまいました。アレキサンドリアはそのままローマに吸収合併され、ローマの属州と成り果ててしまいました。
アレキサンダー血族のクレオパトラは、その名の通り、「親の七光り」で、中身はとうに腐りきっていたのです。アリストテレスが「善」とは無関係と教えた「快楽・富・名誉」にしか興味がなくなり、アリストテレスが悪と言っていた、ビビる、依存する、ケチる、腐る、怒る、騙す、の繰り返しをしていたのです。アリストテレスからすれば、むしろアレキサンダー血族は恥知らずの「極悪人」だったのです。カエサルやオクタウィウスが、より強かったというよりは、正しくアレキサンダーの教えに従った方で、逆にエジプト、ファラオ達は従わずに、ある意味自滅したという方が適切な表現です。しかし、アレキサンダーを信じ続け、叡智の最高頂点として君臨していた「アレキサンダー図書館」に残された知恵は、ローマ帝国に受け継がれ、その後の西欧文明に大きな影響を残し続けました。アレキサンダーもアリストテレスも残したかったのは、血族ではなく「善のイデア」でしたから、それはローマ帝国が拾ってくれたので、アレキサンダー、アリストテレスからすれば、目の上のタンコブだった、プトレマイオス王朝が自滅したことは、むしろラッキーだったのかもしれません。
アウグストゥス=尊厳者へそして、パクス・ロマーナ
紀元前27年、オクタウィウスは、エジプトを平定しローマに凱旋し、反対派を全て徹底的に粛清した後に、全権を元老院に返還しますが、その業績に対して、元老院から「尊厳者 アウグストゥス」という過去に例のない称号を貰い、結果的に、終身独裁官、執政官などのポジションを全て検認し、死ぬまで圧倒的な権力を保持することを元老院から公式に認められました。これによって、共和制は事実上の帝政に変わったと歴史的に理解され、ローマ帝国が誕生しました。この後、数百年に及ぶパックス・ロマーナが始まったのでした。カエサルの思いは、永遠に人類全体に対して影響を与え続け、現代へと継承されてきました。