アレキサンダー大王=圧倒的なる善

13歳から16歳まで、アリストテレス(-384~-322名前の意味は、最高の目的)に学ぶ。ソクラテス(-477〜-399)、プラトン(-427〜-347)から繋がる100年に及ぶ知の進化の結果。アレキサンダーがそこで学んだものは、何か・・・大学レベルの専門的な分野で4年もかかっているので、かなり専門的に成熟していて、論文もかけるレベルの哲学を学んでいた可能性が極めて高いと想像できます。

アリストテレスとアレキサンダーこの辺りの人間社会が作り出したヘレニズム思想は、現代からすれば多くの間違いを含んでいましたが、ローマ帝国、キリスト教へと思想が受け継がれ、その権威が偉大過ぎたために、中世のルネサンス運動と近代革命が起きるまで絶対的なものとして崇拝の対象となり続けました。

近代革命以降も、引き続き間違いとして否定されているのではなく、現代にも受け継がれて進化し続けているものとして、哲学は位置しています。古代ギリシャでは、国家主君は「哲学王」であるべきと考えられていました。

哲学(フィロソフィー)の語源は、知(ソフィア)を愛(フィロ)することです。

哲学に含まれるべきかはさておき、重要なものの一つに倫理があります。

「倫理」=善悪を知ること

要するに「行動が善か悪かを言葉で説明する」ことです。その方法は、問答や弁証を繰り返して人々の脳内イメージを言葉として吐き出させ、それを、繰り返し繰り返し、多くの人を巻き込み、洗練させ、矛盾を取り除いていくというやり方でした。自分以外の誰かが何かを正しいと主張すると、そこに矛盾を見つけることができます。その過程で、自分の中にも間違いがあったことに気がつきます。それを繰り返して前よりも一つ正しくなったと思えるのです。これを3世代にわたって100年繰り返されたことで、正しさがある程度、信憑性と妥当性を持つ様になっていったと考えられます。

誤解を招くことを前提に、かなり端折って簡単に説明すると、

ソクラテスは「太陽の喩え」と「線分の喩え」

「太陽の喩え」

太陽は絶対的で、全ての光の元です。太陽の光に照らされたらものを見れば、暗いところで見たものより正しいでしょう。それは、「善」に関しても同じ様に考えられます。自分の内面や魂に光を照らし、その中から善を認識することが必要です。

太陽は光によって「見える化」する

魂は知性によって「見える化」する

「線分の喩え」

まず知性を大きく「見て知る」と「考えて知る」の二つに分けます。さらに「見て知る」にも二つに分けることができます。「影や鏡像、絵」(間接的に見る)と「実態のある動植物」(直接的に見る)の二つです。「考えて知る」も二つに分けられます。「仮説と帰納=幾何学や算術」(間接的に考える)と、「直感的なのも」(直接的に考える=イデア)に分けることができます。これら全体を通して、自らが無知であったことを直感的に知ることで、レベルアップすることができます。これを続けることで「善のイデア」に近づけると考えていたわけです。

まず絵で見て覚えて、そのあと本物を見るで、と無知だったことを知れます。絵や本物を見て得た「知」をベースに仮説や帰納を作って考えて、新たなことを知ります。その間接的に考えたあとに、直接的に頭の中にある感覚的なもの「イデア」にたどり着くことで、本当の正しさに辿り着けるということです。

プラトン=「洞窟の喩え」

洞窟の中で、縛られた人が影を見せられたとしたら、それを信じてしまい、結果、それを実態だと確信する。同じように、思想の中でも、「善のイデア」だと思っているものは、実態だと確信していても、それは、本当の「善のイデア」の影に過ぎないかもしれないよ。という高次元的な思想です。これは、つまり、人間の脳では真の「善のイデア」は知覚できないかもしれませんよ?ということです。

アリストテレス=「明確な答え」

アリストテレスは、それらソクラテスやプラトンの教えを実践しつつ、全てが思い込みで終わらせずに、言葉で説明できる「明確な答え」を見つけ出したとされています。これが、まあ、賛否両論永遠に議論が尽きないのですが、未だに世界中に影響を与え続けている人類思想のスタート地点と言っても過言ではないぐらい、面白く興味深いものでした。

「最高善」は、快楽・名誉・富とは無関係

「最高善」は、バランスが良い状態(中庸)をさす!

=臆病×無謀(慎重に準備するけど、決めたら突っ走る)

=素直×頑固(考えは柔軟に受け入れるけど、勝ちには絶対に拘る)

=謙虚×傲慢(自分は弱いから努力するけど、負ける気はしない)

  • 恐怖と平然に関しては勇敢、=ビビらない
  • 快楽と苦痛に関しては節制、=依存しない
  • 財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)、=ケチんない
  • 名誉に関しては矜持、=くさんない
  • 怒りに関しては温和、=おこんない
  • 交際に関しては親愛と真実と機知=だまさない

「善」とは最高のバランスを見つけ出して、そのバランスを保っている「状態」であり、誰にも支配されず(自由)に、自分でよく考えた結果、選択して行動することです。これによって、徳を積むことができて、より良い人格者になれ、それが幸福な状態というわけです。自分の生きる目的がはっきりし、謙虚さのバランスを保つことが最高の幸せだと知る「国王」は、驚くほどの支持を得て、驚くほど成長を遂げていくことができます。

アレクサンダーはマケドニアの王子として生まれ、13歳でアリストテレスに上記のことを教わって、人間として成熟し、徳を積み、「最高善」を実施することで、人間性が成長し、短期間で膨大なカリスマ性を手に入れたと言われています。王子という立場は、生まれ持って、富と名誉と快楽は手に入る立場であり、その欲から解放されている状態な上に、善を実施する上で必要な支配されていない自由意志を実践しやすい環境です。その環境が、アレクサンダーをより早く、精神的に成熟させ、人間の内面に備わっている豊な才能を次々と覚醒させていった要因と考えられます。アリストテレスの理論では、侵略戦争が必ずしも悪とはなりません。侵略して支配しても、その過程において、また最終的な状態において、きちんとバランスしていれば「最高善」になり、幸福が得られるからです。

殺人は「悪徳」でも、戦争は「善徳」になり得た時代

無能な人が何も考えずに自制心を失った状態で人を殺したら「醜い悪徳」ですが、国家の理想を掲げ、国家君主が知恵を集結させ、自制心をもって戦略的に軍を扱って、その理想に逆らう人を殺したとすれば、それは「英雄的な善徳」となります。謙虚に素直に臆病でありながらも、勇気を持って頑なに、絶対負けない気持ちをもって前に進み、理想を手にすることは「最高善」になり得るというわけです。これは、現代でも間違った考えであったと必ずしも言い切れません。少なくとも第二次世界大戦までは、支持されていた考えと言えるのではないでしょうか?戦争は「自由意志を持つ英雄的な国家」例えば、現代のアメリカの様な国であれば「正義」となり得るとおそらく考えている人は多いのではないでしょうか?また、死刑を合法にしている国家も「死刑の執行」である殺人行為も、バランスのとれた知恵のある人々によっているものであれば「善徳」であるとされるのではないでしょうか?

最も優れた国制は「君主制」

アリストテレスは、国制で最も優れているのが、「民主制」や「貴族制」ではなく、「君主制」だと言い切っていたのも特徴です。ただし、君主は「最高善」を実施できる「英雄的な善徳」に溢れた人であることが大前提で、これが崩れれば国家も崩れるということです。君主か国内で最も善を体現できる人である限りにおいて、君主制は最高の善と同義になり揺らがないものです。貴族制や民主制はその君主の「最高善」の価値を無知な人々によって薄められ、足を引っ張られることしか考えられないからです。

アレクサンダーは、若干16歳にして、アリストテレスから多くを学び、吸収し自分のものにしたことで、多くの人や軍人から尊敬される叡智の塊としての人格者となり得たのです。

アレクサンダーは、理想と目的をはっきりさせ、その「最高善」を自分の行いであるとはっきりと「言葉」にすることができた究極の存在になったのです。この時点で、アレキサンダーの世界統一はほぼ決定的だったと言えます。逆に言えば、この発想がなければ、どこかでバランスを崩し、世界を統一することはできません。どの国家も全てを自らの支配下に置いて帝国を築くことは、アレクサンダーにとって紛れもない「最高善」だったわけです。

アレクサンダーの素晴らしかったのは、自分の周りにいた大臣や将軍などの側近と、その哲学を一緒に学び、共有していたことです。叡智を集結させ、細部に至るまで哲学を行き渡らせ、常に最高のバランスを保つことで、軍を最強の状態に保ち続け、数倍の戦力を持つ敵を打ち破り、勝利を重ね続けることができたと考えられます。哲学を共有し、慎重に行動しつつも正義感が強く、柔軟性を持ちながらも、勝ちにこだわるという、究極のバランス感覚を持っていたことこそが、最強の軍隊を作り出したのではないかと想像させられます。

貨幣の統一も世界統一が正義であることを裏付ける重要な「最高善」の要素でした。アリストテレスは様々な検証の結果、貨幣のレートや価格の不平等などは、世の中を混乱させ物事の「見える化」を妨げる悪と考えたからです。この考えは現代でもある程度妥当性の高い考え方です。これを解決するためには、アレキサンダーは世界を統一し、造幣局を量産し信用度の高い貨幣を流通させることしかありませんでした。そして、それを自ら見事に実践させたのです。その考えはローマ帝国に引き継がれ、帝国時代にソリディスに置き換わりましたが、現代でもドバイやアルメニアなどのローマからの遠方では、当時アレクサンダーが流通させたドラクマに由来する貨幣が使われて続けており、ユーロ化するまでのギリシャでも復刻され使われていました。それぐらい影響力があった大変革でした。

さらに、アレキサンダー

かの有名なジュリアス・シーザーは、このアレキサンダーから影響をうけて、君主制を再現させようとして、その結果生まれたのがローマ帝国であり、パックスロマーナと言われる、長期の平和社会を築いた礎となりました。そして、それを根本のアレキサンダーから見直し、さらに古代の思想を加えたものによって、現代に新たな「最高善」を復活させることが、ルネサンスの使命でした。そんな、時代背景の中に生まれた人類最高の絵画こそが、ラファエロが描いた「アテナイの学堂」です。これは、人類が神に近づくための道標を描いたものでもあり、ある意味で西洋の曼荼羅とも言える究極の一枚といえます。

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