ワインの歴史

土器の輸入によって偶然ワインが作られた

世界最古の土器片の証拠として確認されているのは、中国の洞窟で見つかった2万年前のものです。これは、海面上昇前ですので、豊かで争いのない平和な人類の時代にすでに完成していたことを示しており、これよりも、もっと昔に造られていたとしても疑問はありません。しかし、西洋やアフリカの洞窟で発見されていないことを考えると、おそらく最初に発明したのはアジア側だったと考えられます。1万4千年前に中東で文明が起こり始めると都市国家の形成とともに貿易が少しずつ始まっていきました。中東でもっともアジアに近いエリアでは、中国から土器とその製造法が最初に輸入され始めたと考えられ、都市国家がかなり成熟し、大きな都市が次々と生まれた約1万年ぐらい前には、土器を使ったワインの組織的な醸造が開始された可能性があります。現在世界最古のワイン醸造跡として確認されているのは、コーカサス地方(カスピ海と黒海の間)ノアの方舟伝説で有名なアララト山近郊の洞窟で、約8000年前と言われています。旧約聖書による世界創造紀元である、7530年前と程近い年代で、ここで世界最古の天文台が確認されていて現在使用されているカレンダーが作られた最初の場所でもあります。ジョージアでは、ワインを醸造するために大きな土器のアンフォラが使われており、できたお酒を入れて持ち運ぶ小さな壺にはドキという発音の古代語が現在でも使われています。これらが、日本や中国でも同じ発音であることは、土器が中国から輸入されたことを考えれば偶然とは言えないかもしれません。土器は、食料をより長く保管するために作られたもので、さまざまな農作物の保管に利用されました。コーカサス地方で原生していたブドウも最初は、他の果実や野菜と同じように単純な保管が試されたことは極めて自然な流れと考えられます。しかし、ブドウには他の野菜や果実とは違う特徴がありました。それが、自然発酵という現象です。

自然酵母(野良)による発酵の原理

発酵が微生物によるものであると人間が気が付くのは19世紀になってからですが、発酵の歴史は、実に20億年以上と想像を遥かに超える長さです。生命が生命らしい真核細胞を持つようになった最初期には、早くも糖類を代謝(発酵)する原始生命が誕生しています。これらの原始生命は、20億年もの間、ほとんどその姿を変えておらず、動物を含む多細胞生物のほぼ全てに内包されています。人間が糖質を食べて代謝しているのもこれらの細胞が体内に内包されているからに他なりません。糖を代謝する解糖系の原始生命の中でもエタノールを生じるのが現在、酵母と呼ばれているものです。糖を形成する多くの植物や作物には、基本的にこれらの酵母も寄生し、糖を分解する機会をジッと待ち続けています。多くの果実が、そういった野良の酵母である程度は発酵をしますが、それが高いアルコール度数まで、発酵が進むものは極めて稀です。得に酸味の強い柑橘などでは自然にアルコール発酵はしません。主に、リンゴとブドウは自然に発酵が進むとして古代から有名ですが、どちらも、他の代謝をする雑菌が含まれると様々な毒素が発生し、酸素の供給が多い状態では、酢酸発酵が同時に進み酸味が強くなり過ぎて、美味しく飲めるお酒にはなることはありません。

「酔い」という現象と「宗教」

話は変わりますが、エタノールによって脳の一部の機能が制限される、いわゆる酔っ払いの現象は、最初に起きたのはいつ頃でしょう?。ブドウなどの植物はジュラ紀〜白亜紀の間、恐竜が地球を支配していた時代にほぼ全部出揃ったことが、化石などの最新の研究から明らかになっております。このことから1億5千年前までに、エタノール発酵が地上のいたるところで進んでいたことはほぼ間違いありません。脳の組織が単純で生命活動に直結する部分が大半を占めていた昆虫や両生類などの時代には、旧皮質や延髄などの麻痺が小血中濃度でも起こるため、泥酔や中毒死をしてしまいかねない猛毒だと認識されていたはずです。このため、エタノールを嗅覚で検知する機能が進化したと考えられています。現代人間にとっても、よっぽど重篤なアルコール中毒者でもない限り、単純なエタノールだけの匂いを嗅いで「美味しそう」となることはありません。しかし、「毒を持って毒を制す」という薬が用いられるようになると、エタノールは傷の消毒や服用によってえられる脳の麻痺を使った鎮痛薬として、時には抗精神薬としても、特に戦場などでは、非常に重宝される万能薬になったと考えられます。また、最新の脳科学研究によると、エタノール濃度が非常に低い10mM(ほろ酔い期)に達した時点で人間の感情の動きに大きく作用することが分かってきました。大型な都市国家成立とともに、人間関係や社会構造が急激に極めて複雑になった文明発祥の初期には、さまざまな悩みや矛盾を抱える様になった人間の精神にとって、「酔い」という作用は、生贄の儀式や、火を囲った歌や舞、神への祈りなどと同様に、悲しみや苦しみの感情を抑制する上でも重要な役割を担う様になり、徐々に神聖化し、宗教と融合していったと考えられます。もちろん、お酒は常に諸刃の剣、人によっては狂気をもたらすことも昔からしられていたようです。

古代のワイナリー

6500年前のものとされる世界最古の大規模ワイナリー跡(アルメニアのアレニ洞窟)では、生贄の儀式に使ったとされる祭壇と生贄に捧げられた少女の遺体が発見されており、それが、お酒の神様へ捧げられたと見受けられる配置となっていました。このワイナリーでは、ワインがグレード分されており、大量に醸造されていた形跡が残っています。これだけ、宗教的な意味合いが強く人間の精神に多大な影響を与えたワインは、国家予算を注ぎ込んで古代からかなりの実験が繰り返し行われたと考えられます。ジョージアで現代まで受け継がれている古代の醸造法としてクヴェヴリが知られています。下部に向かって尖っているアンフォラ(ツボ)の形状は発酵によって起こる自然の対流を起こします。また、それを洞窟内の土の中に埋めることで適正な温度管理を行い、ブドウの皮脂にある成分と発酵の課程で自然発生する微量の亜硫酸塩も加わわることで酸化や微生物の活動が抑制され、完璧なワインが醸造されるに至ったと考えられています。ブドウをそのまま発酵させると、綺麗なワインになることは難しいですが、これらの工夫によってかなり高い確率で美味しいワインに仕上がっていったのです。この手法による古代のワインをコーカサスで試飲しましたが、現代的醸造法のフランスのワインなどと比較しても遜色のない美味しさでした(もちろん特級品はのぞきますが・・・)。

ギリシャ神話とローマ神話

ワインは古代エジプトや旧約聖書の文献にも登場しますが、誰もが知るようになるのは、ギリシャ神話のデュオニソスあたりでしょうか?お酒の神様としてはローマ神話の「バッカス」という名前が日本ではイメージが強い人が多いでしょう。どちらも同一視されている神で、一般的には酔っ払っている愉快な神様みたいな描写をされることが多いですが、実際の神話には意外にも多くの人々の狂気や悲惨な身内殺し、集団自殺が関わっていて、八つ裂きなどグロテスクで恐ろしい描写が多いのです。それらの神話は非常に激情的であり、古代ギリシャではデュオニソスに悲劇を捧げるのが習慣となり、文化・芸術の分野に大きな影響を与えてきました。一方でデュオニソスがお酒だけでなく豊穣の神でもあったため、農耕だけでなく死と再生、輪廻転生や因果応報などとも深く関係してきました。好色で圧倒的な強さをもち全宇宙を支配下に収めた全能の神ゼウスとは、その実子でありがながらも対局にあり、その内心は極めて繊細で、奥深い人間の魂や霊魂に通じる神秘的な存在として描かれています。ワインはそう言ったことも関係してか、神秘的な奇しい秘密の儀式などで重用されてきました。世界最高の古代ローマ建築「パンテオン」については、天の男神と大地の女神とが、雨を使って行う秘密の儀式が行われていたことを語りましたが、ここでもバッカスの神は崇拝の対象でした。キリストが、最後の晩餐でワインを「私の血だと思って飲みたまえ」というセリフは余りにも有名でしたが、なぜ人々はそこまでワインに酔いしれたのか、そこには、ただの「酔い」を超越する、臭覚に関係する深い情報量が関係していると考えられます。最新のブドウ(ピノ・ノワール)のゲノムを全解析したところ、他の植物よりも香りに関連する部分の情報量が2倍以上だったことが判明しています。ブドウは、その内部に土壌から吸い上げた様々な香り情報を保存し、DNAレベルにまで落とし込む優秀な香りの表現者であり、記憶装置でもあったのです。

酸化防止剤(添加物)の歴史

人工的に化合された化学添加物が食料保存の目的で混入されたのは、おそらくワインが始めてと考えられます。コーカサスで始まった古代ワインは、メソポタミア、エジプト、ギリシャへと伝わっていきましたが、古代ローマ時代に入ると長期の移動やワインの生産が難しい地方への輸送などが必要となり、輸送に伴なうワインの質の劣化が大きな問題となっていきました。そのため、様々な工夫と実験が繰り返され、硫黄の利用が有効だということが判明していったことが想像されます。2000年以上前のローマの文献には、アンフォラが硫黄で消毒された記述が残されています。これにより、ワインは持ち運び可能で劣化しない飲み物に変わりました。ここから、古代ローマでは腐敗防止と品質劣化を防ぐ目的で、人工的に加工された亜硫酸塩を定量添加することが習慣化していきヨーロッパ全土に伝わって行きました。その後、その醸造法はキリスト教会へと受け継がれていきます。現在でも亜硫酸塩の添加はワインの品質を守る上で非常に重要とされており、伝統的な製法を守る古いワイナリーほど、化学添加物がされており、逆に新進気鋭の最先端の設備を誇るワイナリーの方がその伝統を壊し、亜硫酸塩を添加しない新しい醸造法を開発しています。しかしながら、伝統的なワインと比較して、亜硫酸塩が無添加のワインの評価はまだまだ低いのが現状です。それだけ、亜硫酸塩の添加は圧倒的にワインの質を高めるための最重要物質だということです。

シトー派修道院とブルゴーニュ

コンスタンティヌス以降の中世ヨーロッパ(暗黒の時代)では、古代ローマで作られた高水準なインフラの維持メンテナンスができなくなり、水が不衛生な飲み物となってしまったため、健康上の理由から庶民の飲料は、水よりワインが主流となり、これによりコーカソイドは、100%のアセトアルデヒド分解酵素を獲得したと考えられています。特にフランスを中心とした西ヨーロッパではブドウが植えられ、ほぼ全域でワインが親しまれました。私も小さい頃から外食では「水より、ワインの方が安いから」という理由で、よくワインを飲まされていました。

ワインは一方で前述したように「キリストの血」として、ミサで振る舞われていたため、神聖なものとしての一面も有りました。特にシトー派と言われるブルゴーニュの修道院では、ワイン造りが熱心に行われた様です。キリスト教会に抑圧されていた「暗黒の時代」では、知識欲があり勉強をしたい頭脳派の人々は、大学がない地方に置いては修道院に向かったと言われています。本が多く、知識人が集まる修道院は、学校と並び読み書きを教える学びの中心でもありました。そして、修道僧は仕事として農業に従事することになり、特にブルゴーニュではワイン造りが選ばれました。傾斜があり土壌が複雑で乾燥していて、今より寒かったブルゴーニュ地方ではブドウの栽培に必ずしも適していたという訳ではありません。そこで、様々な工夫をしていくことになります。勉学ができる知的集団でもあった修道士達は、質素な生活と勤勉をモットーにしており、特に厳律として知られるシトー派は、かなりのオタクだったと想像させられます。畑を細分化し毎年の収穫や畑ごとの味の違いを鮮明に記録し、比較検討しながらワインの質を高めるために真摯に向き合い、徹底的に追求していきました。この時に完成した非常に細かい畑の細分化とその階級分けは、現在に至るまで世界を見渡しても比肩できるものを他に見ることはできません。

ブルゴーニュのワインは1395年に君主の呼びかけでガメ種を引き抜き、ピノ・ノワールの単一品種の栽培に切り替えます。この頃には、聖杯伝説などが徐々に注目されていき、ワインと「キリストの血」、その神秘性や奇蹟が大きく盛り上がっていく時代でもありました。ルネサンス期と宗教改革を経て、1789年のフランス革命がおき、ナポレオン法による遺産相続の法律制定により、元々細分化されていた畑は、さらに細かく分割されました。同じ畑でも多くの作り手が存在するようになり、さらに産地呼称法(アペラシオン)によりラベルへの記載に細かいルールが設けられ、ワインの品質競争は資本主義社会においても激化していきました。それによりさらに品質の向上や多様性が著しくなっていったのです。これだけ、ワインの生産に対して、真摯で直向きで、真剣な人々がこんなに多く密集している場所は、地球上どこを探しても他に見ることはできません。その圧倒的な質の高さによる需要に対して、生産量はごく僅かに限られており、価格が10倍〜ものによって100倍にまで膨らみ高いワインから順に並べたらほぼ上位を独占しているほどです。そんなブルゴーニュの生産者たちは、大富豪であるにも関わらず、質素な生活を好み、オーナー自ら毎日畑仕事をしていることは、注目に値する光景です。

この美しいストーリーと景観、人々の営みは、世界で初めて農地として世界遺産に指定されました。美味しいワインは世界中に無数に存在しますが、ブルゴーニュほどワイン文化を芸術の域にまで高めた地域は他にないと言っても過言ではありません。

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